けせん震災と昔の記憶

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文化
大船渡のおもてなし文化「おちつき」

文化

2021.1.6  お相手:志田裕子さん

 江戸時代から続く、気仙地方の「おちつき」というおもてなし風習。
 江戸時代当時、岩手県では結婚の際、新婦が行列を作り新郎の家まで嫁いで行きました。その道中ではお腹が空くので、新郎側がうどんや餅で新婦をもてなしたのが始まりだと言われています。
 道も悪く陸の孤島といわれる気仙地方、山里超えて難所を超えなきゃ来れない町だった…。
 無事に大船渡に着いたお客様に、胃も心も落ち着かせるようにと言う気仙人の「心配り」「気配り」の精神が今ま受け継がれています。

気仙地域で古くから伝わる「おちつき」

 冠婚葬祭に出される正式な膳の前に、遠方から来たお腹を空かせた、お客様に、お餅やうどんなどを食べて頂き、落ち着いてから臨めるようにと出されます。
 そんな伝統文化を若い世代にも受け継いで欲しい、他の地域や県にも知ってもらいたいとの思いから、おもてなし隊さんの「おちつき」は震災後、他方から来る支援者のお手伝いをするとともに、大船渡の魅力をPRし、継続的に大船渡へ来てほしいという思いで、素晴らしい活動しています。
 結婚式の披露宴では、新郎新婦が会場に入場する前におちつきを食べる風習があります。これは、招待したゲストにまずお腹を落ち着かせて頂くという気配りや、うどんは「つるつる」鶴、もちは「かめかめ」亀のおめでたさ、「新郎新婦が末永くもちますように」という繁栄の願いが込められていると言われています。

おちつき1
おちつき2

「おもてなし隊」結成

 震災当時 創業60年のパン屋「やなぎや」さんだった志田さん、お店は津波に全て流されてしまいました。
 震災後、市外、県外からのボランティアさんの人達と一緒に、炊き出し、物資配布などをきっかけに、おもてなし隊という団体を結成しました。
 そんな、活動をしている中で、海の街、魚の町だった大船渡 の海の産業が復興するまで、何か海以外で、大船渡をPR出来る事は無いかと、逆転の発想で思いついたのが、おちつきと言う文化でした。
 志田さんは、「気仙地区の人しか分からない文化を発信していけたら、海以外でも大船渡に興味を持ってもらえるんじゃないかと思った」と言います。
 しかしながら、地元の方々は、当たり前過ぎて大船渡のPRにはならないとの意見もあったが、他県から来たボランティアの方々にご馳走したりした中で、この文化を話すと大変素晴らしい文化だと喜ばれました。  旅行読売さんや、テレビにも、取り上げられて何度も再放送されるほどでした。

冠婚葬祭とおちつき

 落ち着き料理のメインは、あんこのお餅と乾麺のうどんの上に甘じょっぱく煮た人参や油揚げ、椎茸などを乗せる上盛、煮しめ、お漬物などで落ち着きとは言うものの十分お腹いっぱいになりそうなメニューです。
 昔、冠婚葬祭などには、家の家長が呼ばれて行くが、落ち着きだけを頂き、豪華なお弁当には手を付けず持ち帰り家族で分けて食べ、家族団欒を楽しんでいたそうです。
 今でも冠婚葬祭は、持ち帰りが出来るように、使い捨ての弁当箱やビニールの風呂敷などが付いています。
 昔は今みたいにレストランもコンビニもない時代、冠婚葬祭の豪華な、御膳でのお食事は最高の、ひとときだった事が伺えますね。

おちつき3
おちつき4

おもてなし隊の想い

 気仙地区の人には、当たり前の文化「おちつき」は結婚式では、うどんは末永く・長生き あんこ餅は、関係が、もちますようにとの願いも込められています。
 志田さんは、「大船渡のおもてなし文化を若い世代に伝授し受け継いで行ってもらいたいが、おもてなし隊も高齢になってきて大量に作るのは難しくなり、活動は少なくなってしまったけれど、若い人達の力を借りて伝授出来たら嬉しいな」と話していました。
 おもてなし隊の想いにとても優しくて暖かい気持ちになり遠方からお客様が来た時には、おちつきを出して、大船渡のおもてなしをしようと思いました。

取材者:けせん地域取材チーム あーきぃ

プロフィール写真

志田裕子さん


大船渡市在住。創業60年のパン屋「やなぎや」を経営されていましたが、東日本大地震にて津波に流される経験をし、震災後、ボランティア活動をしながら、「おちつき」と言う文化を広める活動をしたり、横浜でバスガイドをしていた経験も活かしてボランティアの方々に、ご馳走した後、観光案内なども行ったりするなど、「おもてなし隊」と言う名前にぴったりの優しい笑顔で話てくれました。