けせん震災と昔の記憶

けせん震災と昔の記憶

特集記事

Feautured Article

産業
気仙の漁業のいまとこれから

見出し「産業」

2020.12.21  お相手:村上優一さん

 地方特有の担い手不足はどの業種も問題の種のようですね。 そんな中、地元の「タコ丼」で有名な飲食店にもタコを卸している陸前高田のタコ漁師さんに取材してきました。 話題は漁師の仕事を始める前の事から震災当時の事や後世に伝えて行きたい事など多岐にわたり、とれたて新鮮な沢山の海の幸尽くしのおもてなし料理を目の前に聞くお話は人生の先輩として大変ありがたく貴重な時間となりました。

漁師の朝は早い

 毎日3時に出掛けて漁をし、11時に帰ってくる生活を続けて45年、自然を相手に仕事している厳しさ(天候不純で海に出られない日が続いたり、なかなか狙った獲物が獲れない日など)、楽しさ(それでも海に出て大漁の恵みを頂いたり、副産物の獲物が獲れた時など)も全てひっくるめて充実した日々を過ごされているようです。
 毎日新鮮な肴を地酒で味わう至福の時間は漁師さんの醍醐味なんでしょうね。
 ものすごく羨ましいですが早起きが苦手な私には厳しいお仕事です。
 取材をしに行ったのにおもてなしの料理が凄すぎて、誘惑に負けてしまいそうでした。

たこ漁1

右から時計回りに、いわしの刺身、
どんこのなめろう、水だこの刺身、
灯台つぶ、たらの刺身、ほたての刺身

震災当時のこと

 震災で家を失いましたが、大工の経験を活かし2012年3月14日に現在の家を再建、「11日に建てたかったが間に合わなかった。」とおっしゃっていましたが、1年あまりで建てたのは驚きでした。 各地から様々なボランティアの方々に助けられましたが、最初は物質をどの様に分配したら良いか、またどの家が足りていないかなど把握するのに時間がかかりましたが、どんなに辛い状況でも楽しんで物事にあたる精神力は自然を相手に仕事する職業柄かと思いきや、気さくに誰でも受け入れるご夫婦のお人柄のようでした。

たこ漁2

震災を経て

 「震災当時の困った事や教訓を活かして後世に伝えたい。村上家のルールは津波てんでんこ、集合場所はお寺」 今はコロナ禍で叶わないが、震災時にお世話になった全国の方々に会いに、年一回の旅行を楽しみにしているとの事でした。 「今もこの瞬間、津波が来たらどうするか考える時がある。この心配が無駄になる方が良いけど、若い世代に口すっぱく伝えて行きたい。そして、この地域の漁業も受け継いで欲しい。」 元民生委員の責任感と人柄が垣間見れ貴重なお話を聞かせて頂きました。

取材者:けせん地域取材チーム ジョー

プロフィール写真

村上優一さん


高校卒業後、職業訓練を経て東京の建設業に就職し大工の道へ。 しかし生まれ育った陸前高田で海の仕事がしたいと25才で帰郷し、しばらくは漁師と大工の二足のわらじを履くも今は海の仕事で生計をたてていらっしゃいます。 とても気さくなお人柄で皆のお父さんの様な暖かい存在は地域の顔役も担っています。