けせん震災と昔の記憶

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産業
麹に人生を賭ける

見出し「産業」

2021.1.20  お相手:小島智哉さん

 麹は米を発酵させた食材で、醤油や味噌の原料になります。健康に良いことで知られ、免疫力の向上にも効果的です。塩麹や発酵食品のブームもあり、麹の魅力は広く認知され始めています。
 筆者の出身地でもある気仙町今泉地区は、まさに麹のまち。昔から醸造業が盛んに行われており、震災前は醤油や味噌の香りが町中に立ち込めていました。私の幼少期の思い出は常にその匂いと共にあります。
 麹作りは今泉のまちに江戸時代から受け継がれてきたもので、震災で全てを失ってもなおその伝統が絶えることはありません。
 今回お話を聞いた小島麹店の代表、小島智哉さんはその伝統を受け継ぐ一人。小さい頃から小島麹店の味噌を食べて育った智哉さん。身近なところで味噌が作られているのが当たり前だと思っていたそうです。
 智哉さんに限らず、まちの人たちにとって醤油や味噌は昔から身近なもので、その匂いや味は人びとの記憶のなかの今泉にしっかりと息づいています。

再スタート レシピは頭の中に

 祖父母が経営する小島麹店を継いだのは25歳の時。強要されたわけではなく、ただなんとなく自分が継ぐのかなと思っていたそうです。30歳の頃社長に就任。結婚も経て公私ともにこれからという時に東日本大震災が発生。壊滅的な被害を受けた今泉に拠点を構える智哉さんは自宅、店舗ともに津波で流されましたが、自分の代で小島麹店を終わらせたくないという思いから、再建に向けて動き出しました。土地がなかなか見つからず苦労の連続でしたが、平成23年12月に気仙町長部地区に仮設店舗を再建することができました。
 レシピも全て流された中で、麹作りをどうやって再開したのか聞くと「レシピはなかった。俺の頭の中にあったんだ。全部」と智哉さん。さらっと答えてしまうところに職人の職人たる所以を感じました。小島麹店は100年以上続く老舗の蔵元ですが、確かに震災によって味噌の味が変わったとは一度も聞いたことがありません。
 再建後に「やっぱりここの味噌じゃなきゃだめ」というお客さんの声を聞き「待ってくれているお客さんのため、まちのためにも、せっかく自分がこの店を継いだのだからこれからも続けていきたいね」と智哉さんは語ってくれました。

麹1

一つ一つ丁寧に手作りされる味噌

麹2

麹を寝かせる場所。
ヒノキの香りが漂う、なんとも心地良い空間

家族より長い、麹と過ごす時間

 麹づくりは味噌作りの土台となる最重要工程。
 今回取材をして驚かされたのは麹のデリケートさです。温度管理がとても難しく、屋外の気温によって工房内の微妙な温度調整が必要になるとのこと。少しでも気を緩めると、見た目でも分かるくらい色も味も変わってしまうそうです。麹がうまくいかなければ全てダメになる。そんな緊張感があるなか「それが俺の仕事」と黙々とこなしていく智哉さんの姿に、震災があっても途絶えることのない「麹のまち今泉」の職人の歴史を感じます。
 機械に頼らない昔ながらの作り方で、良い麹を作るため毎日欠かさず1〜2時間おきに温度管理のため工場へ向かう厳しい作業の毎日。「自分の子どもより麹を見てるかもなあ」と笑いながら話す智哉さん。家族のサポートがなければ続けられない職人の仕事。家族総出で昔ながらの味を守り続ける努力と覚悟は計り知れません。

麹とともに

 智哉さんにとって麹は命であり子どものようでもあり、切っても切れないパートナーだといいます。「もっと色んな人にうちの『味』を試してもらいたい。ネットを使ってキレイに宣伝するのも良いけど、美味しいという口コミから広がって味を認めてもらえるのが一番良いと思ってる」と麹に対する思いを話してくださいました。時に不器用ながらも良いものにこだわり続ける智哉さんの姿勢に、尊敬と、どこか身近さを感じます。
 今後について聞くと「このまちがこれからもっと発展していって、例えば醸造のまちと呼ばれるような、昔のような町並みが戻りにぎわっていくことができたらいいな」と語ってくれました。
 まちの姿が変わり続ける震災10年目の今泉。麹を通じて、昔の今泉の姿が少しでも感じられるようになりますように。

麹3

震災後、手に取ってもらいやすいようにと店頭販売を始めた

取材者:地域取材チーム おその

プロフィール写真

小島智哉さん


陸前高田市気仙町在住。生まれは陸前高田市。札幌市で育ち、25歳で地元に戻り小島麹店を継ぐ。30歳の頃社長に就任し、100年以上続く麹の味を現在も守り続けている。プライベートでは、900年の伝統があるけんか七夕祭りの一員として、毎年8月7日に今泉地区を山車で練り歩いている。