2020.12.11 お相手:北條伸一さん
東日本大震災で多くの人が、着の身着のままで津波から逃れ、学校や施設などに非難し寒い中、着ているものも濡れていて毛布も足りない中での避難生活が始まりました。そして全国から世界から沢山の救援物資が届き、暖かい衣服や布団など沢山の方々に助けられました。
着の身着のままの避難
東日本大震災で甚大な被害を受けた大船渡は、津波から着の身着のままで避難した住民が雪の降る寒い中、濡れた服で毛布もない中で一夜を過ごす人々も多くいました。
震災後すぐに、全国、世界からの救援物資が届き支えられました。衣服や寝具、おむつ、衛生用品 食料 様々な支援物資の中でも今回は、洋服について取材をしてみました。
震災当時のこと
当時大船渡の紳士服店の店長だった北條伸一さん。
震災当時は営業中でしたが、お客様は1人で、すぐにお帰り頂き、従業員を連れて大船渡高校に避難、車の中でラジオを聞き、電話もメールも繋がらない状況の中、自己判断で店を閉め従業員を解散しました。
当時の住まいは赤崎にあり立ち入り禁止区域になっていた為、その日は、車で一夜を過ごしました。幸い前日にガソリンを満タンにしていたお陰で寒さを凌げましたが、一晩でガソリンが半分になってしまい唖然とし、翌日に変わり果てた町並みを見た時は途方もなく何も考える事が出来なかったそうです。
震災を経て
震災時に全国各地から様々な物資が届く中、それぞれの現場で必要な物は異なり、過不足なくニーズに応える事は困難を極めました。
あれから防災グッズや避難リュック等が多く普及していますが、日頃から家族や身近な方たちと集合場所を決めたりと、津波てんでんこの意味を伝える事が必要に感じているそうです。
また思い出したくない事実も心のケアをしながら同じ悲劇を繰り返さない様にする事が犠牲になった方々への報いになるのではないかと語っていました。
現在から後世へ伝えたい事
震災時の変わり果てた町並みに言葉を失い、その日の食べ物にも苦労した辛い経験もしましたが、震災があったから出逢えた人達もいました。また同じ悲劇を繰り返さない様に今の若い世代の人達に伝えて行かなければならない事は、やはり「津波てんでんこ」。家族や身近な方たちで月命日に亡くなった方々に想いを寄せながら確認し合うのも大切だと思います。」
また今はコロナ禍で震災とはまた違う苦難に立ち向かっていますが、互いに助け合って知恵を出し合って、また安心して普通に出歩ける日を思い描いて今、出来ることを一生懸命にやり抜いて生きたいと強く願っていました。
取材者:けせん地域取材チーム あーきぃ
北條伸一さん
大船渡市在住。花巻出身の北條さんは、震災を経験した縁で、大船渡に移住し、人との繋がりに関われる仕事がしたいと、只今奮闘中。見た目だけではなく、心もステキな方なので、きっと大船渡を盛り上げてくれるのだろうと期待せずにはいられません。