2021.1.28 お相手:今野隆子さん
保健師・看護師などで構成されたボランティア団体である「けせん・まちの保健室」。阪神淡路大震災を機に、三陸で震災が起こった時の準備を進めてきました。また、地域の健康推進の為にサロンなどを開き、地域の為に尽くしてこられました。東日本大震災の際には市から委託され福祉避難所を運営。また震災後は保健師の現任教育、みらいかなえ機構の地域介護力アップ事業立ち上げ、FMねまらいんでの健康情報発信など、様々な活動を展開。その精神は「ふるさとに生きふるさとを生かす」ものでした。
「けせん・まちの保健室」発足
1995年の阪神淡路大震災。当時から、「何年か後には三陸にも大地震が来る。それに備えなければ。」と意識を持っていた方々がいました。保健師の今野隆子さんは、岩手県大船渡保健所在任中当時、周りに看護師の早期退職者が多く、その溢れるエネルギーをどうにか地域の為に使えないかと考えました。そこで行政の立場でバックアップし、2002年10月に看護師・准看護師・保健師・栄養士の仲間約30名と共に「けせん・まちの保健室」を立ち上げました。ご自身は県職員を退職後にメンバーとして加わりました。この保健室の主な目的は2つです。いつかは来る大震災、その時に動けるように備えること、そして地域の健康推進事業です。1995年といえば今から26年前、そして東日本大震災からは16年前。そんな前から意識を持つだけではなく、実際に震災が起きた時に看護の立場でどう動くのかを具体的に学び準備していた方々がいらっしゃったということに驚きました。保健・看護の観点から津波被災者の健康をどう支えていくか。当時はその分野の専門家がいなかった為、自分たちで問題を想定し、書き出し、どう対処していくのかを勉強しました。また発足当初はサンリアでの健康相談やサロン(講習・体操・ゲーム・笑いヨガなど)を行い、健康推進に務めました。大船渡市のマラソン大会の救護の依頼など、市から委託される事業もあったそうです。
東日本大震災発生
2011年3月11日。「いつかは起きる」と言われてきたことが実際に起こりました。阪神淡路大震災との違いはやはり津波被害。しかし、備えてきた成果が発揮されました。「けせん・まちの保健室」のメンバーはそれぞれが行ける避難所へボランティアとして入り、保健・看護の面で被災者のサポートを行いました。また市から委託を受け、福祉避難所を運営。福祉避難所とは、通常の避難所で過ごすことが難しい、体や心に弱さを持った方々の為の避難所です。場所を借り、メンバーが交代勤務で常駐しました。また、新生児を抱える家族のための避難所を用意し、行政が届きにくいところに届く働きをしました。
自身と同じ保健師として働き始めたばかりの姪っ子さんを津波で亡くされた今野さん。また姪っ子さんだけではなく、多くの保健師仲間も失いました。言葉で言い表すことはできない思いを抱えながらも、大船渡保健所からの委託を受け、2市1町(大船渡市、陸前高田市、住田町)の保健師の現任教育を実施。元々大船渡准看護学院で保健教員としてのキャリアがあった今野さんは、震災後の現任教育で淡々と基本的なことを教える過程を通して、ご自身の気持ちが整理できた部分もあると言います。遺族として痛みを抱えながら、保健師として成すべきことを成しながら…。
福祉避難所として使用した福祉の里
震災後の風景
ユニークな存在として
「けせん・まちの保健室」のような団体は他にはありません。専門職を活かしてこの地域の力になりたいという方々の力は、一見目立たないようでも大きな力となって震災前、震災時だけではなくその後も人々を支えました。「メディカルメガバンク」(東日本大震災の被災地の地域医療再建と健康支援に取り組む国の事業)の気仙地域立ち上げ時のバックアップ、一般社団法人みらいかなえ機構運営の一員としての働き、また当機構の「地域介護力アップ事業」への関わり、FMねまらいん(ラジオ放送)での健康情報発信(2013年〜5年間。週1回)などがその代表的な活動です。
30名ほどのメンバーがそれぞれ動ける時に行ける場所へ。生き生きとした素直な看護師たち、同じ志を持ち支えてくれた当時の上司。同じ思いを持った人が集まり、自主的に喜んでこの働きが進められてきたことが分かりました。「今の私には何ができるだろうか」と考えさせられます。
ふるさとに生き、ふるさとを生かす
このようなボランティアの働きの原動力はどこにあるのか、今野さんにお聞きしました。すると以下の詩を紹介してくださいました。
『ふるさとに生きる ふるさとを生かす』
サトウ・ハチロー
ふるさとに生きる
ふるさとを生かす
ふるさとをよく知り
ふるさとと語りあう
舌ざわりのよいふるさと
肌ざわりのやわらかい ふるさと
言葉がひふの毛穴からしみこむ ふるさと
同じ子守唄がどこの家からも聞こえる ふるさと
道ばたの小石にも 石垣の間から見えるかにのハサミにも
小魚のピリッと光る尾びれにも 幼き日の思い出がつながる ふるさと
見なれた色
聞きなれた音
かぎなれた匂い
それがまじりあっているのが ふるさと ふるさと
だがふるさとに甘えるなかれ
ふるさとはやさしく きびしく
ふるさとはなつかしく 悲しい
ふるさとにはいつも うれしさと涙がある
それをみきわめて ふるさとを引き立て
ふるさとをはげまし ふるさとのよさを押しすすめ
これがわがふるさとだと
胸がはれるふるさとにしたまえ
ふるさとをよく知り
ふるさとと語りあい
ふるさとに生きる
ふるさとを生かす
この詩に出会った時、今野さんはとてもしっくり来たと言います。お金のためでも名誉のためでもない、ただふるさとに生き、ふるさとを生かすため。自分が持っているものを存分に使って地域に貢献していくその姿は現役を引退された今でも輝いていました。
取材者:地域取材チーム ゆきママ
今野隆子さん
大船渡市生まれ大船渡市育ち。保健師として岩手県沿岸各地で勤務。その内9年間は大船渡准看護学院で保健教員を勤める。保健婦長、保健衛生課長などを勤めながら厚生労働大臣表彰など数々の表彰を受ける。現在は現役を引退するも保健師として様々な働きに携わっている。