2020.12.9 お相手:武蔵裕子さん
トナリノ企画部主催の「てしごとクラブ」で講師を務める武蔵裕子さん。季節折々の「リース作り」講座を開いています。「生まれも育ちも箱根山」と、幼い頃から自然の中で育った武蔵さんにとって自給自足は当たり前のこと。震災時でも避難所だった伝承館で、地元の方々の力となりました。震災の体験を語り、決して後悔しないようにと「3つの約束」をお願いしています。
箱根山の自然素材を使ったリース作り
講師を務める武蔵さんにとって、「箱根山は私の庭」という程、幼い頃から生活の場所なのだそう。リースに使う「あけびの蔓」や「ガガイモ」「ひばの葉」「椿の実」などの素材を探しながらの散歩が日課だそうです。山歩きの際は、触ってはいけない植物もあるし、服装などきちんと守らなければならないルールがあることも教えてもらいました。
武蔵さん自身の子育てが一段落した頃、改めて自然の造形美に気づいたそう。「幼い子を持つ母親は息つく暇もないと思うんです。だからこそ、自然の物を手にする時間って大切だと思うの。唐松の果球が花の形をしていることに気づくとか、自宅の花壇に植えた花が咲いていたとか……自然の恩恵を肌で感じながら自分の心のままに制作するリース作りは、親子にとって想像力を高め、癒しの時間になるのではないでしょうか。私はそのお手伝いをしていきたいと思っています。」
便利な世の中だからこそ、不便さを求める子育てを
「我が子を箱根山で育てたい!」と6年ほど暮らした大阪から故郷に戻ってきました。「私の子育ては普通ではないの。」と笑いながら話す武蔵さん。
例えば、夜のマラソン練習で星が綺麗だったことや真っ暗で田んぼのあぜ道から落ちたこと、薪ストーブに使う木材集めに山へ連れて行ったことなど。「杉の枝が1番燃えやすいの。子どもたちはそれをマンモスの牙みたいだって言って、どっちが多く採るかを競争してね。楽しい思い出です。」
また、「子どもが山でトイレに行きたくなったらどうします?草はあるし、虫がいるし……初めてだと出来ないですよね。もしも災害の時に、その場でするしかなかったら?山だったら枝を集めてお尻を隠すこともできるし、葉っぱでふき取ることもできます。そういう経験があるかないかが大きいと思うんです。」
自然の中で育ってきたからこそ、便利さを求めるのではなく、敢えて不便なことを体験させる子育てに感銘を受けました。
震災の記憶と後世に伝えたい「3つの約束」
「高田は終わった……。」震災直後は言葉が出ませんでした。かつて祖父が何度も話していた「海の水が引けば、必ず津波が来る」が現実になったことに驚きを隠せなかったそうです。生まれ育った故郷が「壊滅状態」になってしまうなんて誰が予想できたでしょうか。
お腹もすかないし、眠くもならない……全てがモノクロに映る日々でしたが、立ち止まることはありませんでした。すぐに伝承館で避難してきた地元の方々を受け入れ、山育ちのノウハウを生かし薪風呂を作ったり、わき水を汲みにいったりと地域の方々のために力を尽くしました。
水も電気もない避難所の暮らし。自給自足は慣れていたので何て事は無かったと話す武蔵さんの強さは、その場にいた方々にどれ程の勇気となったことか…。
いつどこで起きるか分からない天災。特に「津波てんでんこ」を守って欲しいと訴えます。常に「ここは安全か」を自問してください。そして、すぐに高台へ避難できるように「車の駐車は切り返して」おくこと。被災地では携帯電話がつながりにくいので、「自宅から離れた地域に住む親戚の電話番号を登録」しておくことも忘れないでください。
この3つの約束を後世に伝えていくことが、私ができる全国の支援してくれた方々への恩返しなのだと話してくれました。
箱根山展望台から見下ろす広田湾
「朴」の葉は殺菌効果もあるので、葉が緑のときはおにぎりを包むのに利用できる
震災から10年、今、伝えたいこと
「時間が経てば経つほど過去のことになってくるけど、震災は終わっていません。今も自然災害はいろんな国や地域で起きています。そのときに他人事ではなく、自分のこととして、我が身を振り返る機会を作って欲しいです。」
「子どもたちには、いろいろなことに興味をもって、自然の中で暮らす術を学んでもらえたらなと思います。」
そして、「子どもは一人一人ちがうんです。できなかったことができるようになることがすごいこと。その子のペースでいいんです。今後も講座に来てくれたママたちが喜んでもらえるような活動を続けていけたらいいですね。」
かつて、保育師になることが夢だったと話す武蔵さん。これからも子育ての原点である「箱根山」で培った知恵を与えながら、子育て世代に愛情深く寄り添っていくことでしょう。
取材者:けせん地域取材チーム MICHI
武蔵裕子さん
陸前高田市在住。気仙大工左官伝承館の館長(平成18年~令和元年11月)。震災後、伝承館で休憩するボランティアに、自身の体験を伝える語り部としての活動を続けていました。現在は「てしごとクラブ」の講師や、「陸前高田市食生活改善推進員協議会」の会員として多数活躍されています。